記録と記憶が結びつく面白さ
中込
展覧会「セピア色の直方-アルバムの中の故郷-」(注1)を振り返る前に、まずは尾仲さんご自身のことについてお聞きします。
尾仲さんの写真はよくその既視感について指摘されています。
行った事のない場所なのに、どこかで見たような気がする、そんな風景の写真。
尾仲さんが惹かれる風景であっ
たり、写真を撮るときに考えていることを教えてください。
尾仲
2009年に直方谷尾美術館での個展のポスターのキャッチコピーが「私はどこに行ってもこの町の影を探しているのかもしれない」でしたが、それはまさしくデジャヴ(既視感)につながるのだと思います。
色んなタイプの写真があって、見たこともないようなものを見ることを楽しむ写真もありますが、僕の写真はその逆で、誰もがたぶん見たであろう風景を作品としてだすことで、見る人とその思いを共有する、それが写真の持っている大切なところだと思っています。
中込 そうした写真に対するスタンスというのは、若い時から変わっていないのでしょうか。
尾仲 もともと古い写真を見るのが好きでした。
たとえば自分の父親の世代写真を見たりとか、自分のことで言えば、自分の幼少の頃のアルバムを見るのが好きだったんですね。
何度も見返して、自分の記憶を確認していく・・・自分の記憶というよりも、アルバムを見ながら、母親なりが話してくれたことを、確認、記憶していく作業になると思うんですが・・・。
「あなたは~だったのよ」と母親から何度も聞かされるわけだけど、その内、それが自分の記憶となっていく。アルバムをいつも見てたんで、僕のアルバムはボロボロでした。
中込 その時の記憶というか、写真を見て後から作られた記憶が、幼い頃の記憶になっていくというのが面白いですね。
尾仲 ある程度大きくなると、自分で写真を見る目が出来てきて、写真には、それ以外の色々な要素があることに気がついていくわけです。
たとえば、自分の遊んでいるおもちゃが写っていたりすると、そのおもちゃで遊んだ記憶があったりするんですね。
さらに、おもちゃの色とかも覚えていたりする。
モノクロ写真の中にはない、記録と記憶が結びつく面白さに気がつくんです。
中込 写真は人の記憶と密接に結びついているんですね。
尾仲 今回、色んな人の写真を見せてもらったんですが、年代は違っていても、その土地特有の家の在りようだとか、僕もその町に住んでいたので、町の通りの記憶だとか、共有できるところがいっぱいある。
そういうところを一つずつ見つけていく作業が面白かったですね。
たとえば、この縁側の写真なんていうのは、この土地特有の家のつくりだと思うんですが、これは僕にとっては懐かしい一コマなんですね。
中込 決してここを知っているわけではないけども、知ってる。
尾仲 そう、知っている。
この私感。
このガラス戸のレールがどうなっていて、どういう音がして、鍵はどうなっている。
ということまで知っているわけです。
この家は全然知らないけど、絶対そうだって分かる。
そこが、写真を見るときの面白さだと思うんですね。
中込 そういう細かい記憶が蘇ってくるところが面白いですね。
これが絵画だとかだと、少し違うのでしょうか。
尾仲 写真の場合、撮る人の意識とは別に、たくさんのものが写ってしまうのですが、絵だと、たとえば作者がガラス戸のディティールにこだわると、そこを出そうとして描くから余計なものは排除されているでしょう。
中込 写真っていうのは、意図しないで写っているものがいっぱい・・・というか、写ってるほとんどが意図していないもの。
尾仲 そう、この写真だと、まん中の人たちを写してるんだけど、写真になったときには、縁側もその下の石も、手前に写っている草もみんな同じ価値をもって写っている。
中込 面白いですね。
今回、この展覧会を行うきっかけというのが、2009年に当館で行った尾仲浩二展の際、尾仲さんからお聞きしたお話でした。
「家に眠ってるアルバムの中の写真には、当御者は意識していないことが多いけれど、その土地の雰囲気や時代の空気を伝える様々なものが写っている。大勢で共有すればきっと面白い」といったお話です。
実際に展覧会をやってみて、お客さんの感想なんかを聞くと、沢山のことを色んな人たちと共有できるなってことを実感しました。
尾仲 お客さんが何人かで一緒にみえて、お話しながら写真を見てくれていて、僕はその後ろに立って、その人たちの話をなんとなく聞いていることがすごく楽しかった。
予期せぬ話がどんどん出てくるわけです。
見ている写真の話しじゃなくて、その人の記憶の話しがどんどん出てくる。
そこが今回の展示の特徴だったと思いますね。
中込 地元の写真を集めて、地元でやっているから、というのが大きいですね。
尾仲 それはすごくありますね。
中込 これを他所でやると違ったものになっちゃいますね。
尾仲 多分、「時代の~」みたいになってしまうかな。
古い写真っていっても、まだ同世代の人たちがいっぱいいらっしゃるんで、知っている人も写っていたりするわけです。
中込 実際、そうでした。
尾仲 そこの面白さですよね。
これが明治とかの写真になると、あまりに古すぎちゃって、違う世界の話しになる。
見ている人たちの記憶が繋がっているところが、面白いんだと思います。
中込 今回、戦前と戦後に分けて展示しましたが、見方が違うというのは感じましたね。
「昔はこんなんだったんだね」という歴史を学ぶような見方と、「そうそう、こうだった。」という共感型の見方と。
尾仲 もちろん、他所でやったとしても、日本人なら共有できる時代の感覚があるとは思いますが、具体的に知っているものが写っているかどうかで随分違うと思いますね。
知っている人や町が写っていることで、他人の写真なんだけど、自分の写真のように感じられると思うんです。
中込 この展覧会では、市民の方々から寄せていただいた沢山のアルバムや写真の中から、尾仲さんに展示する写真を選んでいただいたわけですが、どんなところに着目されたのかというのを聞かせていただけますか。
尾仲 どうしても僕の記憶が大きく占めてきてしまうんですけど、なるべく町の様子とか、広く色んなものが写りこんでいるものをと思ってました。
たとえば、町の中でも、映画館のポスターがあったりだとか、建物の様子がわかるとか、そういうものを今回は意識的に選んだんです。
それと、この土地特有の何かが写っているもの。
たとえば市役所とか今でも続いている個人商店だとかは、多くの人の記憶と共有できる一つのポイントだと思うんですね。
中込 なるほど。
今回の展覧会の核になる「共有」できるっていう部分の、その糸口がたくさん写りこんでいる写真を今回たくさん選んだということですね。
尾仲 そうですね。
それから風俗的もの。
たとえば当時流行のダッコちゃんだとか、漫画のキャラクターの服を着てるだとか、「シェー」の格好してるだとか、そういう、その時代を知ってる人には懐かしいものを選んだりもしました。
あと、ポスターに使った写真は町の全景が見えて、あぁ、ここはどこだっていうのは、多分直方に住んでいる人はみんな知ってる。
そんなところですね、大切なのは。
写っているものに価値がある
中込 写真と一口にいっても、商業用の写真だとか、趣味で撮って個人的に楽しむ写真だとか、アートとしての写真だとか、色々あります。
今回選ぶのに、写真の構図的な部分とか、そういった技術的な部分というのは意識されたりしたんでしょうか。
尾仲 あまりそこにこだわりたくはないですよね。
写真が上手い下手っていうよりも、面白いか面白くないかっていうところが、断然、大切だと思うんです。
それは今回の写真の選び方に限らず、上手い写真がいい写真かというと、そんなことはないと思うんですよ。
撮ってる人が何を面白がって撮って、それが、見てる人にどれだけ伝わるかが、唯一大切なところだと思うので、構図が云々ということは、どうでもいいことだと思うんです。
それに集まった写真の多くは、まだカメラやフィルム、写真が安くはない時代ですから、撮られる方も緊張しているし、撮るほうも一生懸命きれいに写そうとしているわけですよ。
そこらへんの緊張感とか、撮られるほうの真剣さが、この時代の写真にはありますね。
中込 今回特に印象に残っている写真とかありますか。
尾仲 いい写真がいっぱいありましたよ。
うらやましい。
写真はいくら技術が進歩しようと、一瞬前の写真はもう撮れない、だから面白いんだよね。
上手いとか、下手とかいうよりも、写っていることそのものが素晴らしい。
ここにもう一回行って撮ろうたって撮れない。
今回、個人的なアルバムを人に見せるって事もあって、ある程度、年齢の高い人たちの写真が多かったんですけど、70年代、カラー写真の初期の頃の写真がもっと見られたら、もっと楽しかったと思います。
この頃の方が写真はたくさんあるんですからね。
中込 そうですね。
次回はその辺りの写真を呼びかけてみてもいいかもしれませんね。
今回、時代順に展示したんですけど、見に来る人の記憶ともっと密接に関われる見せ方って何かアイディアをお持ちじゃないですか。
尾仲 「子どものいる風景」という切り口で写真を選んでいけば、子どもと町の写真ができると思います。
それと、かわいい子どもの写真は、見に来る人の目にもとまりやすいかな。
他には、年代を区切ってやるってのも面白いかな。
今回と同じように幅広く集めると、もしかしたら似たような展示になっちゃうかもしれないから、70年代の写真に絞るとか。
実は、70年代のカラー初期の写真は、一番劣化が進んでると思うんです。
中込 古い写真よりも・・・。
尾仲 そうですね。
高度成長期で品質よりスピードを優先した結果の品質低下による退色も多いし、当時のアルバムも写真保存には適していないものが出回っていたから。
それを早く救わないといけない。
昔の写真は記念写真が多いけれど。
70年代になると小型カメラと感度の高いフィルムが出て、動きのあるスナップ写真が増えてくる。
中込 技術が進んで撮られるものにも変化が現れるんですね。
尾仲さんはこの前、写真集「海町」(注2)を出版されましたが、その後の反響はどうですか。
尾仲 週刊朝日に掲載したので、地元の方からメールをいただいたりしました。
元は個人的な旅の写真だったのですが、先の震災がきっかけでその土地に愛着のある人たち、記憶のある人たちが見ることになったわけです。
すると、僕がどう思って撮ったなんて全く関係ないわけですね。
それぞれの人たちが様々な思いで写真を見ていく。
写真はそれでいいと思うんです。
中込 それが写真の本質といえるかもしれないですね。
尾仲 そうだと思います。
いくら有名な写真家が撮った写真でも、時代が経ってしまえば、誰が撮ったかっていうよりも、そこに写っているものに価値がある訳で・・・。
こうだったんだ、こういう顔だったんだあの人は、っていうことだけが残る。
たとえば中原中也はこういう顔、太宰治はこういう顔って、誰が撮ったかよりもどんな顔をしていたかってことに、みんな興味がある。
中込 家庭のアルバムの写真とかは、別に有名な人が撮ったわけでもなく、報道写真なんかと違って、他人にメッセージを伝えようという意図が入ってないので・・・。
尾仲 デフォルメされてないですよね。
中込 だから見る側もすごく素直に見れる。
尾仲 展示を通じて写真の見方みたいなことも、少しでも広がればいいですよね。
「あっ、誰々が写ってる!」っていうことだけじゃなくて。
どうしてこれが並んでいると面白いのかなんてのが分かると写真の見え方が全然変わってくるでしょうね。
中込 展示の中でその辺が工夫できるといいですね。
尾仲 きれいに写っている写真があれば、部分をトリミングして、たとえば小さく写っている部分をトリミングして、ふきだしのように持ってきて、これは何で、こういう情報が読み取れますよ、という解説を付けるのも面白いかな。
中込 なるほど。
写真に写りこんだ細かい部分に、この写真の面白さが隠れているっていうのを、導入部分に持ってくるといいかもしれませんね。
尾仲 子どもたちは、今とは違う何かを見つけて面白がるんじゃないかな。
それとね、「マイカーと私」ってテーマで、車と写ってる写真並べるのも面白いね。
車好きの人が見たら何年頃のどんな車か分かるだろうし、そこからいろんな話が出てくると思う。
町の歴史的なものを中心にすると、どうしても似たようなものになってくると思うんですよね。
でもそこをちょっとずらせば、町は勝手に写りこんでるわけだから、見る人も楽しく見れるんじゃないかな。
中込 話しは変わりますが、今、写真は紙で見るだけでなく、パソコンなどの画面で見ることが多くなってきました。
同じ写真でも画面で見るのと、紙にプリントされたものを見るのとでは、感じ取り方が違うようにも思います。
それについて思うことがあれば教えていただきたいのですが。
尾仲 まだその時代が始まったばかりですが。
紙に残された写真は、ある日突然、本の間から出てきたり・・・っていうような面白さがありますよね。
デジタルデータっていうのは、そういう残り方をしないでしょうね。
お袋のタンスの引き出しの奥から出てくるというような、そんな場所と時間の越え方が、写真の面白いところだと思います。
中込 モノとしてあるっていうところが大きな違いですね。
尾仲 そうですね。
そして時間とともに、黄ばんだり、色が変わったりするのが写真。
今回もそうだけど、フィルムが残っていれば、そこから新しい写真は作れるけど、それよりも、昔にプリントされたものを見る方がドキドキするんだよね。
そこらへんがモノとしての写真の面白さでしょうね。
注1 2011年5月10日~6月19日に直方谷尾美術館で行われた展覧会。
直方で撮影された写真やアルバムを市民から募集し、集まった写真の中から約90点を尾仲浩二氏が選定し展示した。
注2 2011年7月に発行された写真集。
90年代初頭に尾仲浩二氏が三陸地方を旅した時の、日常の風景を記録。
尾仲浩二公式ホームページ